heartcommu's diary

ACIM学習者 Yasuko 日々の呟き

有難い

 

今日は月一回の勉強会シェアだった。

話すまでは心細い気持ちだったけど、安心して進みなさいって励まされている。

本当に有難いと思う。

 

ここ一週間は動きのある日々だった。

先週から息子が出かけず家にいる。

ちょうどそんなタイミングで、息子との関係をテーマに、せいこさんに心の観察ワークをしてもらってた。

息子が私に言ったことも、息子の行動も

私の心の現れ。

 

私の心には深い悲しみが見えた。

やるせない想い、切ない想い、無機質な悲しみ。

水の束のような巨大な、グレーな渦。

薄暗いグレーな空と海。

そこが私の隠れ場所であり避難所だった。

きっと

神から必死で逃げた、私が作り出した空間だ。

生きていても、意味はない。

そんな言葉がベースになっていた。

 

私は、その空間を手放したくないと思った。

そこが無くなってしまったら

私の避難所が無くなってしまう。

それだけは勘弁してもらいたい。

私は生きられない。

隠れる場所がなければ、私は生きる自信がない。

 

せいこさんのお陰で、深い感情の場所まで見ることができて

本当に有難かった。

私は、自分がそんなにも

自分が作り出した空間を大事にしているとは思わなかった。

 

最近ちょっと、自分の不幸自慢な人生に辟易してた。

一つ終われば一つ現れる。

どこまでも続く、見舞われる不幸。

今日の勉強会シェアで、のり子さんが言ってた

「私たちが盛大に繰り広げている

歌って踊ってディナーショー」

という言葉が、本当にグッとくる。

この世界でやっているように見える、どれもこれも。

自分が作り出した、工夫に満ちたディナーショーなのだ。

笑える。

 

認識して、少しずつでいいから、手を引いていきましょう。

という、のり子さんの言葉が優しく響いた。

 

ありがとうございます。

 

 

 

信頼と開かれた心

 

映画「オデッセイ」を見た。

真我なるハートのYouTubeで、Mr.ラファエルの解説と共に見た。

勇気をもらえた。

息子との関係から逃げないと思ってから

この映画を観た流れが凄いと思った。

Mr.ラファエルが繰り返し言っていた

「Trust & Open mind」が心に響いた。

 

エス聖霊への信頼と

開かれた心がなければ

今の状況を逃げずに見ることは出来ないだろう。

 

「オデッセイ」の主人公マークを思い出して

勇気を持ち続けたいと思う。

自分に負けないぞ、と思う。

自分の弱々しい心に流されていたら

罪を信じる者になってしまう。

強い信頼で、神の子の自覚を取り戻す方向に向かいたい。

 

 

今日は、せいこさんに打ち明けをさせて貰った。

言葉を準備せず、ただ差し出せばいいって思った。

それでも打ち明けには勇気が必要だった。

私の身に起こったように見えるドラマを

なんとか話し終えた時に

「え??」という

心の中に、はてなマークがいっぱいの状態になった。

不思議な感覚だった。

 

今までに身近な人たちに話して

「これは重大な問題」として抱えて

なんとか解決しなければいけないのに

どうしたらいいか全くわからない・・・という感じだった。

 

それが、ただ打ち明けただけなのに

「もう、いいんじゃない? なんの問題もない」

みたいな感じになっていった。

身近な関係者じゃない人に話させて貰ったから?

スペースを保って受け止めてくれたから?

・・・本当に有難い。

 

今度、この件について心の観察ワークをして貰うことになった。

緊張するし、すごく抵抗感がある。

それでも、もう心の準備は出来ている、とも思う。

勇気が必要だし

信頼と開かれた心、そこにいるしかない。

感謝。♡

 

 

 

 

神の子

 

私は誰も愛していない、という気づきから

何日か離れられずにいた。

エス聖霊に助けを求め続けた。

あれこれ考えずに繋がるのだ、と自分に言った。

 

映画を観た。

一つは「ローズの秘密の頁

昔のアイルランドが舞台の切ないドラマチックな映画だった。

泣けた。なぜこれを選んだのかよくわからなかったが

ヒューマンドラマが好きだ。

 

もう一つは「LUCY」リュック・ベッソンは凄いなと思った。

のり子さんのブログでも紹介されていて

勉強会でもルーシーの話題がよく出ていた。

時間が存在することによって、ここに動く世界が見える。

時間が存在しなければ、私たちという物体も存在しない。

時間への見方、過去、現在、未来への見方が変わった。

なにか研ぎ澄まされるような感覚になった。

私たちは一つに戻ってゆくのだなぁと思えた。

 

どうにもならない感覚から少し光が見えた。

今日、心が静まっていた。

奇跡講座のテキストの二十一章「理性と知覚」を読んでいて

急に心が深く静かなゾーンに突入した。

 

やっぱり、これなんだと思った。

私は、どうしても避けたかっただけなんだ。

息子と私自身を、非力と見ようとして

力強い神の子であると見ようとしなかった。

私たちは周りに影響される弱い存在なんだと

心を閉じ込めてしまうところだった。

これについて、ちゃんと見よう。

聖霊に助けてもらおうと思えた。

 

 

 

 

かんちがい

 

かんちがい、してることばっかり。

感情は心の窓なんだっていう感覚を

ずっと持ち続けてきた。

大きく湧き上がる思いは

自分を見るための大事な窓だと思ってきた。

でも違うみたい・・・。

 

じつは本当の私じゃない感情だからこそ湧き上がるって

のり子さんが言ってた。

あー

ずっとそれに翻弄されている・・・呆然となる。

 

 

私、誰のことも愛してなかったみたい。

愛のように見せていた。

でもそれ、しがみつきだったみたい。

本当はみんな邪魔だと思ってて

邪魔だと思ってる自分を見たくなくて

罪悪感が満載な私を認められないから

外側を気遣う。

愛してるんだって自分を騙し続けたみたい。

あー、誰も愛していなかったんだって思ったら

誰のことも重要じゃなくなった。

はぁ、なんだかな・・・。

自我に愛なんてないから、それでいいのか・・・?

 

エス聖霊に手渡した。

わかりません!って言ってみた。

 

Jesusだけ、愛してる。LOVEって思いたいけど。

 

 

 

 

 

わかってない

  

 

今日の勉強会を振り返ると、恥ずかしいと感じる。

話した内容を思い出すと、ため息がでる。

それでも、今知りたいことを知るには

今の全部でぶつかるしかないな、と思う。

自分が全然わかってないってことを

思い切り知らされるのは、辛いのだけど

私は本当のことが知りたいのだから、仕方ない。

 

勉強会で出て来た、まだ残っている期待を

お風呂の湯船の中で、手のひらに乗せてみた。

そしてイエス聖霊に捧げた。

「これを全部、お渡しします」と言った。

まだ未練を感じる、全然ある。期待している。

 

思っていたよりも、サイレントダンスに未練を感じていた。

スピリチュアルな思い込み。

いつか近い将来に、またインスピレーションが来て

私は自由に踊ることになるんじゃないかと

一握りの期待があった。

 

のり子さんは、すべてを神に渡さないと

神の意志に委ねられないと言った。

その通りだと思った。

「私をお使いください」と言いながら

私独自の企み、期待があるのでは無理なんだ。

 

私は、やっぱり、神と共にいたい。

神の仕事がしたい。

この想いが絵空事でないことを願う。

 

私は、しがみついていたんだな、と気づけた。

子供たちの存在にも、しがみついていたんだな、と思った。